「ロシアの宇宙を巡る旅」                         〜ロシアの宇宙精神と文化・芸術〜

2016年7月7日早朝、カサフスタン・バイコヌール宇宙基地。ソユーズロケットは澄み渡る青空の中、眩ゆい光と共に大地から宇宙へと飛び立った。日本人として6人目のソユーズ宇宙船フライトエンジニア宇宙飛行士大西卓哉さんを乗せて。2度の延期の末の出発であったが、その日は奇しくも七夕だった。
私は、モスクワでの大西宇宙飛行士との偶然の出会いから、ソユーズ打上げの一部始終をバイコヌール宇宙基地で体験する機会を得た。今日はその一部を写真とともにお届けする。
ミュージカルが好きな大西さんは、ロシア訓練時の休日に、私が出演するアマデウス劇場の公演を鑑賞しに来てくれた。自分の生涯で宇宙飛行士と出会うとは夢にも思っていなかった!なんと魅力的なことか。初めて名刺をもらった時の驚きは忘れられない。「宇宙飛行士 大西卓哉」、私は「あら、イケメン」と思う間も無く、「エッ、エッ」と大西さんの顔と名刺を何度も何度も往復してしまったものだ。
その日から宇宙飛行士という職業は、私にとって身近な存在になった。

宇宙都市「バイコヌール」
モスクワから南東に約2100㎞離れたバイコヌール。
現在はカザフスタン領だが、宇宙基地を使用するため、ロシアが年間1億1500万ドル(約115億円)を払い租借地としている、総面積6717平方kmにもなる世界最大の宇宙基地。(東京都の面積の3倍強)
初めて訪れるバイコヌール宇宙基地はとてつもなく広く、乾いた土地で、来る者を圧倒するスケールだった。気候は時折スコールはあるが、一年のほとんど晴れる。ここには今でも一般の観光客は立ち入ることができない。特別の許可を得た者だけがこの街に足を踏み入れることができる “閉鎖都市”なのだ。

「ソユーズロケットのロールアウト」
打ち上げ三日前、早朝。晴天というにはあまりにも青く深い空。打ち上げの全行程を漏らさず見ようと瞬きするのも勿体無い感じだ。先ず私が驚いたのは、ソユーズは格納庫から運び出され、鉄道で発射台に設置されることだった。これをロールアウトと呼ぶ。
何の前触れもなく、ガッシャンという凄まじい音と共に、専用の列車に寝かされたソユーズが目の前に現れた。最先端の精密機械であるはずのソユーズが、昔懐かしい感じの列車で、荒涼とした大地を威風堂々と進んでいる。ロシアではむきだしのロケットを横倒しで運ぶ。私はあまりの驚きにロシア人警備員の存在も忘れ、ソユーズまで数メートルという至近距離まで近づいていた。警備員は近づいて来て、笑顔で「凄いだろう。これは…」と話しかけて来た。そこは笑顔じゃなくて制止でしょう?仕事しなよ、と思わずツッコミたくなってしまった。何とも牧歌的、いやロシア的というべきか。

「ロシアの宇宙精神」
かつて私はソ連の宇宙開発に関しては、米ソ冷戦時代の産物で、国家の科学分野における潜在能力のプロパガンダだと思っていた。そこには人としての営みやロマンなど感じられない。でもそれは大きな誤りだった。それが「ロシア宇宙精神」と呼ばれる哲学である。

ガガーリンが宇宙に旅立つこと90年前、ロシア正教の敬虔な信者だった思想家ニコライ・フョードロフが提唱した「共同哲学 」。彼は、その中でこう言っている。「我が国の広大な空間は、偉業のための新しい舞台となる天上の空間へと繋がる通路なのだ。人間の活動は。地球という惑星の中に限定されるべきではない。人間は地球という船の気楽な乗客ではなく、乗組員でなければならない。」。「ロシア宇宙精神」は、宇宙を科学的、哲学的・文化的に捉えようとする大きな試みだった。彼の主張は、ドフトエフスキーやトルストイの作品にも大きな影響を与えたと言われている。
なお、「宇宙船地球号」という言葉が20世紀後半、バックミンスター・フラーの著書で有名になったが、同じような考えがこの頃すでにあったことはとても興味深い。

そのフョードロフを師と仰ぐコンスタンチン・ツィオルコフスキーは、「宇宙飛行の父」と称されている。1897年にロケットの速度と噴射ガス速度の関係などを示した、世界初のロケット理論「ツィオルコフスキーの公式」を発表したロシア人である。まだ宇宙ロケットなど開発されていない時代に科学的根拠に基づいた、実際のロケット理論や、宇宙服や宇宙遊泳、人工衛星、多段式ロケット、軌道エレベータなどを考案した。彼の発想の多くが「ロシア宇宙精神」に基づいた人類の次の進化を見据えたものであった様に思われる。
彼がロケットに興味を持ったきっかけは、幼い頃に読んだジュール・ヴェルヌの空想小説『月世界旅行』。その後、重力や惑星の運動に興味を持ち、独学で数学や物理を勉強するようになったそうだ。現在では科学の結晶とも言えるロケットの、その源にあったのは、「科学」ではなく、夢想ともいえる「想像力」だったのだ。「我々人類は何処から来て、何処に向かうのだろう」こんな根源的な問いが「想像力」を生み、「ロシア宇宙精神」へと紡がれてゆく。宇宙開発は政治利用もされて来たが、その根底にはこの様な哲学が確かにあった様に思う。
バイコヌールには、こんな「ロシア宇宙精神」が至る所に見え隠れしていた様に感じた。そう、警備員の中ににも。

「ロシアの宇宙開発」
ロシアの宇宙開発は「職人の世界」。「この道一筋」といった感じのおじいちゃんを、基地内で見かけることも少なくない。
仕事のマニュアルを作る習慣がないこともあり、職人たちの頭のなかには、知識と技術と経験が詳細に刻みこまれている。彼らはまさに、宇宙開発の「生き字引」なのだ。
どこかロシアの音楽家たちとよく似ている。

一般的に技術開発は、新しいものほどいいとされがちだ。だが、ロシアは使い慣れた技術を大切にする。現在ISSに人を運ぶことのできる数少ない宇宙船であるソユーズは、開発から50年ほどたったいまでも基本的な構造がほぼ変わっていない。「うまくいっているものは動かさず、そのうえで新しく取り入れられる部分は取り入れる」という発想なのだ。
かつて欧州のメディアが、『米国のシャトルはTGV(仏高速鉄道)だけど、ロシアのロケットはトロッコだ』だと揶揄した時、ロシアの宇宙飛行士たちは、『トロッコは壊れても、ネジを1本だけ替えればまた動く。古くても格好悪くても高性能じゃなくても、自分たちで操作できるものの方が俺たちには合っているし、それを誇りに思っているよ』と笑い飛ばしたそう。
まるでオペラの舞台装置作りのようだ!
質実剛健さとユーモアが混在していて、まさにロシアの魅力。まさにロシア宇宙精神!? 

「ソユーズ発射台に立つ」
ガガーリン射点は1957年に完成。ガガーリンが乗ったボストークなど多くの有人宇宙船の打ち上げに使用された、由緒正しい発射台だ。ロールアウトから2時間後ソユーズはガガーリン射点に到着し、すごい機械音を発しながら、起き上がりはじめた。地響きをさせながらロケットを垂直に立ち上げる様は、何だか危なっかしく、いかにも力技という感じがした。そして、時間にして15分ほどで太陽を目指す格好で無事、屹立した。三日後にこのロケットに乗り、大西さんは宇宙へ飛んで行く。そう思うと、私は何だか誇らしい気分になった!

「ソユーズロケット打上げ」
打ち上げ当日、早朝だというのに太陽がやけに眩しい。私は、報道陣のいる観客席ではない地元の人向けの場所に陣取った。私たちが立っているのは、発射台から1.4Kmという近さ。心なしか心臓の鼓動が早いような気がする。
打上げ予定時間は7時36分。私は何度もスマホで時間の確認をし、目の前のソユーズを見るという行為を繰り返していた。特別なカウントダウンはなく、群衆は粛々と待ち続けた。
そして、ロシア語でアナウンスが流れた後、轟音が鳴り響く。不安なのか、感動なのか、魂が揺さぶられる様な不思議な感覚。鉄の塊から炎が溢れ出した。あの中に大西さんがいるのだ。そして、大地を引き裂くような眩しい光を放ちながら、ソユーズはガガーリン発射台からゆっくりと空へ昇って行った。
その瞬間は神々しく、美しい姿は幻想的でもあった。「世界は争いで溢れているけど、それでもヒトはより良い明日を目指して生きているのだ」何故だか、そう実感できる瞬間でもあった。

最先端の科学なのになぜか「人間らしさ」を感じるソユーズ打上げ。
科学をする心の中に「人間のらしさ」が確かに息づいていた。その中にこそ芸術と科学に共通する何かがあるのではないかと思っている。

その後、宇宙へと渡った大西宇宙飛行士は、彦星よろしく宇宙で大活躍された後、無事地球に帰還されたのは皆さんもご存知の通りである。

「モスクワ・アマデウス音楽劇場」ソリスト  平岡貴子